空想犬猫記

※当日記では、犬も猫も空想も扱っておりません。(旧・エト記)

帰省

山梨に今世紀最後の帰省。 思ったよりもスーパーあずさは空いていた。 小さい頃からずっと思っていたが、この年末で僕の人生の第1タームは終了である。 1980年生まれの僕は二十歳で21世紀を迎える。 小さい頃、大人達からは「21世紀になればね〜」といろいろ夢物語を聞かされてきた。 当時の僕は「21世紀」という扉を人類が叩くと、 そこにはあたかも約束された技術革新が待ち受けており、本当に夢のような世界が開かれるものとばかり思っていた。 恥ずかしながら21世紀が20世紀の続きであることを真に受けたのはずっと後になってからの事だった。 ともかく、今日の帰省で、第1タームの試練はひとまず卒業した、、ということになるのだろう。
自分は永遠の子供ではなく、しっかりと成長し、年を負う度に着実に視野が拡がり、目が醒めていく思いだ。 それは当たり前の残酷な現実であり、後には戻れない夢の終わりでもある。 恐らくその先には老いが待ち受けており、頭がかたくなって、体が弱っていくのだろう。 毎年年末になると毎度同じよーなことを考えているような気もするが、 これから先の事をしっかりと考えなくてはならないと思う。
今この文章は、和室の床の間の前で書いている。目の前には祖母の筆による、明治天皇の詩(たぶん)の掛け軸。 右手にはわけ分からないがとても素晴らしい中国の詩(たぶん)。床の間には誰が生けたか知らないが、 ずいぶんとよい角度で植物が生けてある。この部屋は静かで、とても心が安らぐ。 この部屋には暖房さえ効いていない。半分冷えた指で文字を打っている。 寄り掛かる背もたれもなければ、畳と尻の間の座ぶとんの温もりが、異常なほどに強調されるばかりだ。
都会の裕福さってなんなんだ。
この部屋で僕は十分なのに。