空想犬猫記

※当日記では、犬も猫も空想も扱っておりません。(旧・エト記)

喝(he)

実験装置の真空度が低いとかで実験が休講になった。明日ヘヴィなレポートが 2 枚、 提出期限なので少し有り難かった。
先日、秋葉原に行ったときに、ヘリウムガス入りのアルミ箔風船 (アルミ箔の両面に樹脂を張り付けたやつ) をもらった。しばらく天井に貼り付いていたが、そいつが気付いたら足下に転がっていた。 その昔、ヘリウムガスを吸うと声帯が収縮して高い声が出る…という話を聞いたことがあるが、 本日、初めてその効果を実際に体験するために、風船を開け、おもむろにガスを吸ってみた。
大きく息を吐き、風船の穴に唇をつけ、深呼吸−…んむむ、来た来た…咽が収縮する感じ。 市販のボイスチェンジャーに入っているガスは酸素濃度が調整されているが、 風船の中身はおそらく 90 %以上の高濃度。 多少、自分の吐いた息を吸った時のような息苦しさを覚える。 それでも、いざ声を出してみて中途半端な声が出たら、大いに悲しい(風船も報われまい)。 と、思ったので、効果を高めるために、 おもむろに二呼吸目に突入−…んむむむ、来た来た来た…さらに咽が収縮する感じ。 さらに息苦しさを覚えたが、何せ自分は、実験をしておきながら 「なんで He ガスを吸うと高い声が出るのか」 ということに関しては全く知らない。 もしや、今吸ったヘリウムを吐き出してしまったら、 「声を出す前に声帯は元に戻ってしまうのではあるまいか?」 そんな不安が頭をよぎり、息を吐く前に取りあえず何か喋らなくては、という強迫観念にかられた。 されどこれは自分にとって10 年越しの世紀の実験である。部屋には自分1人だけど。

「あー、あー、マイクのテスト中」

なんてしょうもないことを言ってしまっては、歴史に残る科学者にはなれまい。 こういう時にせめて、「地球は青かった」くらいの言葉が話せなければ(風船も報われまい)。 むしろこれは試練である、自分が優れた科学者になるための…。 強迫観念は重ね合わせの理により、さらに高まった。 ところで、風船内の酸素濃度はほぼゼロ。おまけにガスを吸う前に大きく息を吐いたものだから、 血液中の酸素濃度は、始めの深呼吸以来、減少の一途である。く、苦しい。 何か喋らなくては何か喋らなくては何か喋らなくては…。目まぐるしく「何か喋らなくては」 が頭の中を通り過ぎ、もはや歴史的名言どころの騒ぎではない。
panic time ───
冷静さを失いそうになった時、
人にはそれを抑制するために客観的に物事を考える理性が備わっているものだ。 世間ではお昼ご飯を食べる時、自分もご飯を食べるべき時間、意味もなく帰宅して、 意味もなく風船を切り、意味のもなく意味のないガスを吸っている、お前は何ものだ?
そのときコギトは、この実験の総ての無意味性を証明終了した。
ああ自分はなんて意味のないことをして意味もなく苦しんでいるのだろう。そう思い、 僕は重くため息をついた。その深いため息が、ヘリウムの効果により、 とてつもなくまぬけな声であったために、 スロヴァキアには 77K の寒風が吹きすさんだのだった*1
ふへぇというまぬけな音と、それが中国語の「喝」のはつおんによく似ているなあという*2、 意味の無い思いつきが、余計に実験の無意味性を裏付けているかのように感じられた。

*1:77K は液体窒素の絶対温度(深い意味はない)

*2:発音は「he」、「e」は「え」と「あ」の中間くらいの音。飲むの意