つらつら書くことの効用
昨日のエントリーをブックマークしてくれた人がいたようだ。ちょっとだけ派手なタイトルを付けたことを除けば,思いついたままを推敲なしに箇条書きで書いたも拙い文章である。
丁寧な文章に直す時間が面倒だったので,文少量も少ないし一気にドバーっと書いて更新してしまった*1。それが,結果として無視されずに,私の思ったことが誰かの心に留まったという事実だけでも,書いてよかったと思う。小さな影響力かも知れないが,あの一連の議論について考えた私の意見が,とにかく誰かの頭の中に混入したという事実が,私にとっては重要なのである。
私の観察によると,ブログの記事は,一つのエントリーが一つのユニークなストーリー,オリジナリティに溢れる内容になっている場合はごく稀で,大抵は受け売りにチョイ+した断片の寄せ集めからなっている。analytics を見ていても,そういう断片的な記事でも,結構読まれていることが分かった。文章は拙くても問題意識が世間とシンクロしていれば,それなりに読む人はいるようである。
この場合,ストーリーは既に読み手にあって,文章は,そのストーリーを補助するために使われるのだろう。そうだとすると,ゴリゴリ論理で説得したり,気の利いたレトリックを駆使しなくても,断片的な単語やフレーズを提供するだけで,読み手側で再構築され,役立ててもらえるかも知れない。
ブログに載せられる文章が,情報のながれる「道」だとしたら,その道がある「街全体」がしっかり作られていなくても,「峠道のたった一つのカーブ」だけが印象的でありさえすれば,人はやってくるんじゃないだろうか。Web 周辺の技術の進歩がもたらす情報のながれの変化って,そういう細かいところまで,人々を導いてくれるんじゃないだろうか。これが「増殖する地球上の厖大な情報」が「瞬時にすべて整理し尽くす」された世界の姿だったりしないだろうか。なんてことに思いを馳せてみた。
とゆうわけで,体系立てずに思ったことつらつら文章を書いておくだけでも,その断片的な言葉の繋がりに,ゆくゆく何かしらの価値が生まれる可能性があったりしないかなーと思いながら,半ばいいわけも含みつつ,今日も稚拙な文章を書いてみました。
*1:その後で何回かオチを変えたりもしたけど