空想犬猫記

※当日記では、犬も猫も空想も扱っておりません。(旧・エト記)

2009年振り返り

最近はTwitterでぼやくだけで満たされてしまっているせいか、ロクに文章を書かなかった。今年は20代最後の年、いつの年にも増して、多くの出来事があったが、その殆どを記録に残すことをしなかった。悪く言えば怠慢であるが、大切な思い出を陳腐な言葉で表現することでスポイルしたくないというのも、一方で真実である。この一年、個人的な身に振りかかった出来事は、今後の生活を通じて解釈され、適切に表現されることを待つことにしよう。

まずは仕事から振り返る。アメリカに来て4年目の今年は、いわゆる下積み期間を経て、最前線に立って自分の判断を信じて、プロジェクトを成功させることに専念してきた。満を持して臨んだ18ヶ月に及ぶ長期のプロジェクトで、XPを実践し、期日通りに落としどころを調整し収束させた経験が、今年の一番の実り。プロジェクトは生き物で、簡単な足引き算では制御は出来ない。参加者のそれぞれの思惑があるし、惰性もある。ミクロに見ると方向性は微妙に異なっていても、マクロな視点では正しい方向に進む。そうやって進むプロジェクトを客観的に認識しつつ、最前線でコードを書き、言葉も人種も違う他社のエンジニアにコードを提供し続けた。これは3年前の自分が見ても、納得する成果だと思われる。

待ち人来る。今年は大学院時代の恩師を始め、母、兄弟、大学の先輩など多くの人が訪れてくれた。その他にも親戚、友人から、便りがあった。個人的には、私は人間に対する興味はあまり無い方だと思っていたけれど、その私をして、やっぱり人間に敵うものはないなぁと実感した次第。人は人と人の間に生きていて、人生の多くの事柄は、他人が意味を与えてくれたり、刺激をくれるものだと理解した。もう一人の待ち人は、息子が誕生したこと。自分がこれまでに何を成し遂げたかはともかく、もう次の世代が始まったのである。自分に物心が付いて自我が生まれて、そして息子の自我が生まれる頃、僕はようやく世代が巡るのを、一通り眺めることになる。そう考えると、巡る命の鎖を意識せざるを得ない。この感覚が生まれた、あるいは戻ってきたことが、もう一つ実りである。

自分の生活に最も欠かせない、プログラムについてはどうか。ブログによると、C++に辟易してCの練習をしたり、GWTで遊んでみたり、2足歩行ロボットのシミュレーションを書いたり、TISLのコードを読んだりしてて、あまり一貫性も到達点も明らかではなかった。概ね、やってきたことに後悔はない。業界の専門的なことはさて置き、あくまで言語に絞って考えてみると、日常的に使っているC/C++については、もはや知識やスキルではなく、プログラムの行間に何を滲ませるかとか、もう数値判定不能なところで、ただ自分の書くコードに対しての納得度を高めようとするための試行錯誤なので、画家がデッサンするのと同じように、ただコードを書いていれば良かったのだ。

最後にもう一つ。今年は年間を通して、これまでになくサーフィンに足繁く通った。南カリフォルニアに住む一番の魅力は、広大な浜辺と波にあるといっても過言ではない。多くの人が波に魅せられるが、人それぞれ、解釈は異なるようだ。ある人は神聖なものであったり、ある人は単なる娯楽対象であったりする。僕にとっては、波はその刹那さや個性を含めて、人生そのものを表現しているものに見える。沖に出ても、心の内面で乗っているので上達はあまりしてない、というのは言い訳だが、波乗りを通して培った感性が日常の行動原理に反映されていることを考えると、これが一番大きな出来事だったと言えなくもない。

書きなぐってみたものを振り返ると、今年は今まで貯めた貯金で実ったものをささやかながら収穫した1年だったかも知れないな。

それでは皆さんよいお年を。