空想犬猫記

※当日記では、犬も猫も空想も扱っておりません。(旧・エト記)

水曜日

M氏の検診。

昼は久しぶりにハンバーガー。夜はうどんライス。

生まれてすぐの耳の検査に引っかかってから、病院の先生方が全力体制でM氏のサポートをしてくれている。1日で7人の専門家に検査をしてもらい、今度のアドバイスなどを貰う。幸い言葉の発達は標準以上にできているし、耳もちゃんと聞こえている様子でひとまずは安心。

子供を持ってみると一人の子供が「普通」に育つことがどんなに難しいことなのか良く分かる。思い出してみると、僕自身も生まれたときから乳歯がちゃんと生えなかったり、色々問題があったと思うけど、それらを全部受け止めてのびのびと育つ家庭環境があったことは幸運だった。

火曜日

風邪もほぼ治る。昼はご飯を発酵させたソーセージなどの珍味と絡めてコロッケ状に揚げたあと、それを崩してピーナッツと絡めてサニーレタスとパクチーで巻いて食べる料理(名前は忘れた)。夜はチャーハン。二日続けて同じ料理は辛いので味噌汁をお願いしたら、出汁をいっぱい使った大根とシメジの味噌汁も添えられていた。

午前中、Mは屋内遊技場に遊びに行ったとのこと。一人で遊んでいると、同じくらいの月齢の子供が寄ってきて、おもちゃを取ろうとしたのだそうだ。そこでM氏はその子の腕をそっと掴んだ後「ねぇ、この子殴ってもいい?」という目でチラッと親の顔を伺い、それに気付いた奥さんの顔色を読んでやめたのだそうだ。危ない一歳児である。アカデミックな才能は未知数だけども、頭の回転の早さはなかなかのものである(お兄ちゃん比)。

K氏はソファーのクッションを外してM氏が中に入って遊べるチムニーをつくってあげていた。ズボンをはくのを嫌がりフリチンで遊ぶ。寝る前は流しの水を色々な容器に溜めて観察していた。ここ半年で英語の発音がだいぶネイティブっぽくなってきた。それもredとかblueとかagreeとか簡単な単語なんだけど、発生の仕方からして違う。悔しいがホンモノの英語の音。父はもう英語を喋らないほうがよさそうである。

月曜日

昼はグラタン、夜はチャーハン。奥さんの作るイタリアン一般は根本的におかしい。グラタンなのにホワイトソースがなく干からびている。ただパスタとチーズを絡めてオーブンでこんがり焼いただけの何かだけど、味は悪くないし建設的なアドバイスもできないので普通に食べた。チャーハンはサラダ油ではなく、こだわりの動物性油脂を使うようになってから本格的な味になった。

午後は郵便局でM氏のアメリカ人パスポートの申請手続き。Webのフォームに必要情報を入力すると、そのままPDFが生成され、それに写真と両親の運転免許証のコピーをとり、家族揃って手続きに臨むだけでよい。20分くらいでスムーズに終わった。

日曜日

昼は昨晩の残りのチキンスープとチキン。

先日亡くなられた義理の祖母の弔いに近所のお寺に行く。お寺の建物から漂う年代ものの臭い。カビや酸化し尽くした人間のdead skinや脂の臭い。古い旅館の臭いから漂白剤の臭いを差し引いたもの、とでも例えると分かり易いだろうか、とにかく小さい頃に町の公民館とか林間学校の寮などで感じたあの雰囲気が思い出されて妙に懐かしい気持ちになった。

寺の坊さんはなに言ってるかさっぱり分からなかったが、慎ましく善き人であることは言葉を交わすまでもなく伝わってきた。奥さんの宗派の慣例として、どの寺院にもたいてい占い師のできる坊さんがおり、奥さんはどちらかというとお婆さんの弔いよりも占いに時間を費やしていた。

かつて占い師に、実家の家業(これは当たってた)や先祖の家業(落武者)、持病(心臓が弱い・聞いたことない)などを指摘され、まぁまぁ当たっていて、不思議なものだとは思っている。それより面白いのは、その宗派ではかなりの大多数の人々が占いを信じていて、人々の心の支えや人生の指針になっているという事実である。宗教にはまず入り口に奇跡とか超常性があって、論理では否定されえぬ砦のような役割を果たしている。しかし本質は、教義によって人々の心の動きを一つの方向に導き、大きな力を引き出す装置に変える働きにある。哲学や道徳、教養一般も同じ効果があるが、宗教は奇跡によって論理をやすやすと超越できるぶん、間口が広いのだ。これは裏を返すと、緻密な論理をクネクネする理性的な人間よりも、論理をすっ飛ばして直近の現実的な問題に重きを置く人間が圧倒的に多い、すなわち淘汰が有利に働いているということになる。まぁ集団としての生命現象についての知見と個人の幸福とはまた別なので、だからどうしたということでもない。

奥さんは信心深くないとは言うが、もともと信仰心の厚い一家の人なので、こうしてお寺に詣でているし、何よりうちの家系では見たことのないような楽観的で幸福で平和な人物なのだ。「お給料とボーナスも出るようにお祈りしておきなさい!」とか言ってたし、なんともありがたい仏様である。

なお占い師によれば、奥さんは「どこで暮らしてもこの先幸せ」「旦那さんは素晴らしい人だ」「頭痛や些細な体調不良を治したければお供え物持ってきなさい」などのアドバイスを受け、満足したようだった。まぁまぁ当たっていて、不思議なものだ。

礼儀正しい私は、ただただ、お婆さんの安らかなる成仏をお祈りした。

晩飯は子供のお守りをしながら自炊。子守はあまり気張らず自由に遊ばせる。プレスクールのクラスルームから教材の動画をダウンロード中、待ちくたびれたK氏が上半身だけソファーにうつぶせになって、膝をかくっかくっとさせながら寝落ちするという珍しいものを動画に収める。坦々面とカレーの王子様卵とじうどん。夜中に腹痛で目覚める。因果関係は不明。

眠れなくなったので、コンパイラの本を復習。改めて数年前に無我夢中で実装したetolispの設計の有用性を確認した。キッカケはよく覚えていないが、数年前、突然何かに取り憑かれて俺Lispインタプリタを書いていた。そのとき何をしたかったのか自分でもよく分からず、その後、0からVMベースの王道の実装で作りかけたところで、大きな森に迷い込んでしまい、全てお蔵入りになっていたのである。今振り返ってみると当時何をしたかったのか、当時より明確に説明できるし、舗装されつくした王道の実装が頓挫した理由も説明が付く。C++の実装技術も俺スケールでレベル7から11くらいにあがった。王道よりも自分が開拓した道にその先があった。この件は今年中に書こうと思う。

金曜日

昼は橙色の濁った汁そば。正確な名前は分からない。奥さんが風邪を引いているためか、味付けがおかしい。二人で「味付けがおかしいねー」と言いながら食べる。

夜はうどんと納豆とロールキャベツ。いつもより味が薄め。子供たちも風邪を引いて疲れやすくなっているのであろう、家に帰るとK氏は待ちくたびれてソファーの上で寝ていた。それでも父の帰りを待って頑張っていたのだと聞きほっこりする。

Chrome 31 から、ユーザスタイルシートの仕様が少し変わり、幾つかのサイトが正しく表示されなくなってしまっていた問題に対処する。unicode-rangeの挙動もかなり怪しかったので、ひとまずシンプルな設定に戻しておいた。MeiryoよりもMeiryo UIのほうが少しひらがなの幅が狭くて画面を有効に使えるので、等幅フォント以外はUIフォントを使うようにした。

@charset "UTF-8";

* {}

body {
    font-family: "Meiryo UI";
}

@font-face {
    font-family: inherit;
    src: local("Meiryo UI");
}

@font-face {
    font-family: "MS PGothic";
    src: local("Meiryo UI");
}

@font-face {
    font-family: "MS Pゴシック";
    src: local("Meiryo UI");
}

@font-face {
    font-family: monospace;
    src: local("Consolas");
}

@font-face {
    font-family: monospace;
    src: local("Meiryo");
    unicode-range: U+3000-30FF, U+4E00-9FFF, U+FF00-FFEF;
}