空想犬猫記

※当日記では、犬も猫も空想も扱っておりません。(旧・エト記)

アキバ事件

学生の頃は,暇さえあれば毎週のように散歩してた街だけに,大変ショック。命を失った7人のご冥福をお祈りします。

ずっとブログを読んでいた。この事件を,何かの象徴に見立てて,その他の社会問題と結びつけようとする試みも,どれもそれなりに筋が通っているように見えるけど,取材に基づくものというより,各個人が思い思いに興味のある問題に結びつけていると言った印象。正直,たった一人の異常者が後付けで社会を代弁できると考える方が,間違ってる可能性は高いのだが,人間の感情は,これを小さく扱えない。

今回の事件で,個人的に最も心を痛めているのは,失われた被害者の方々のことである。なので,この被害を将来に渡って最小限に抑えるためには,どうしたらいいだろうかと考えていた。対策は二つあって,一つは再発を防止すること。もう一つは再発した際の被害を最小限に抑えることである。

一つ目の対策に重きをおく人は「心の闇を追求し,真の問題を見つけて解決…」という立場をとる。二つ目の対策に重きを置く人は凶器のナイフそのものを規制したり,車そのものを凶器として使用不可能にするといった,一見,今回の事件の本質ではないにしろ,類似的犯行の被害を最小化させるといった対策を思いつくようだ(勝手な想像,勝手に分類しただけです)。

私はどちらかというと後者である。犯人の背景を調べることで,犯人にとっての本質的な原因は出てくるかも知れないけど,異常者の心理を一般化して対策に結びつけることができるとは到底思わないし,されたら迷惑と考えてしまう。それによって精神世界の自由を規制する,あるいは我々自身に変なレッテルを貼って,束縛してしまうことを私は恐れる。それよりも,心の闇の多様性は認めたうえで「人は人を傷つけるために,凶器を使わなければならない」という普遍的なところに注目して規制をかけたほうが,気楽だし,効果を上げるのではないかと思うからだ。まあこれは私が精神世界に生きている人間ということで,ご勘弁。ナイフを観賞用に集めている人は,刀狩りで。

もし犯人が自動小銃を手に入れてたら,被害者は7人どころでは済まず,中央通が血の海になってただろう。日本の銃規制が上げた効果を,ここで見逃してはならない。

#この事件を糧に,人々が社会をよりよいものにしていこうと,どう行動するのか,それは一つ興味深いところだったりする。これはまたこの問題の本質から外れた興味だけど,ブログはそういった人間観察の場でもある。