空想犬猫記

※当日記では、犬も猫も空想も扱っておりません。(旧・エト記)

現実と夢

高校生の頃,ファインマン博士の自伝(エッセー)を読んで,その中に,夢の中で自由に意志を持って動こうと頑張る話があったのを記憶している。私も,その話に負けず劣らず,夢の中で何とか自由に動こうと日夜もがいている(いまだに)。大抵の場合は,夢の世界の矛盾を見抜いて「これは夢だ」と気付いた瞬間に,夢の世界から追い出されてしまうのであるが,ときどき夢の世界から出られずに夢の中で走り回ったり,夢の中で何度も目が覚めて,それでも現実に戻れなかったり,イレギュラーなことが起こる。昨晩もそんな夜だった。

私は東北地方のとある街に観光に出かけた。東京から電車に乗るところから,目的地に着いたところまで一気に飛んでいて,間の記憶が全くない。「おかしい,僕の頭はどうかしちゃったんだろうか」と思いつつ綺麗な景色を眺めながら,友人と散歩をする。「これは夢だろうか?いや,どう考えてもそうじゃない,そうこの感覚,これは現実にしかないものだ」などと思いつつ真っ青な空を仰ぐ。「うん,間違いない。現実だ。平和な日だ…」

───と確信したところで目が覚めた。

「エーーーッエェェーーーッ」と思わず布団でうなってしまった。後から思えば,一緒に散歩していた友人は〈友人〉という記号であって,それは誰でもなかったし,とある街も,とある街でしかなかった。しかし,その世界にいるうちは,その記号以上のものは全く不必要であって,その存在に疑問をはさむ余地すらなかったし,それで十分だった。

この夢と同じように,いつかこの現実から覚める日は来るのだろうかと,しばらく妄想する。

現実に何か意味はあるだろうか。結局は,夢の世界と同じように,実は本質的な意味を持っていない記号と相互作用して,何か意味のあることをしているかのような感覚を得て,そういう閉じた世界で得られる,有限の作用(満足)を得て生きているという点では,特別なものは何もないのではないか。

そういうすごく当たり前なことを,自然に受け入れられた気がした。