空想犬猫記

※当日記では、犬も猫も空想も扱っておりません。(旧・エト記)

信号機

「ところ変われば品変わる」「郷に入り手は郷に従え」「長いものには巻かれろ」と古えの教えに従い,アメリカに来てからちょっとやそっとの不便について否定的な感じ方をしないように心がけてきた。この国にあるものは,輸入品はあるとはいえ,ほとんどが生まれも育ちも,文化も歴史も宗教も異なる人々によって作られたものなのだ。少なくともそういう好みで作られている。なので善し悪しはともかくまずは「違う」ということを知ろうと努力している。
しかしながら,どう好意的に解釈しても「だめだこりゃ」と思ってしまうことがしばしばある。その一つが「信号機が頻繁に壊れる」ということだ。一週間に一度は信号機が壊れた交差点に行き当たる。雨が降ると壊れる。僕は生まれてこのかた日本で信号機が壊れたところをみたことがなかった。しかも,時々じゃなくて「毎週」なのだこれが。こちらの人はもう慣らされていて,信号機が壊れたときには非常時用の交差点のルールにすぐさま切り替え,交通整理の警官がいなくてもそれなりに整然と車は流れる。ハードがダメなら運用でカバーというわけである。始めはこれに感心したりもしたのだが,これこそバッドノウハウである。
日本の信号機業界も癒着があって,信号機がLED化されるまで国民は時代遅れな信号機を長らく使わされてきたというが,アメリカでもそういう事情はあるのだろうか。