空想犬猫記

※当日記では、犬も猫も空想も扱っておりません。(旧・エト記)

2日目

5:00起床。炊事なし。顔を洗い,ひげを剃り,歯を磨いて後片付け。6:35に出発準備完了。不慣れなためか荷造りに時間がかかってしまう。すべての荷造りを終えた後,GPS用の乾電池をクリアケースの一番下に仕舞ってしまったことに気づく。再び荷を紐解くのは面倒なのでコンビニで調達することに。いろんな意味で残念な気分。
1週間の優雅な夏期休暇のはずなのに,何故か時間を気にしている自分がいる。あたふたと準備をしている際に,誤ってヘルメットを砂地に落下させてしまう。「コッヘルのこげ」につぐ傷は「新品ヘルメットのきず(3mm)」だった。Myヘルメットを買った経験のある人なら理解していただけると思うが,これは「トホホ…」と思わず口にしてしまいそうなほど残念なことなんである。これを機に,何か自分を焦らせている非日常性をしっかり自分の中で分析した。そして,これからの旅で遭遇するであろうあらゆるトラブルへの不安と焦りが,少なからず自分の動作に影響を及ぼしてしまっていることに気づく。こういう類いのことは精神病の患者が自分自身の疾患に気づけないのと同じように,なかなか自分自身では発見できないものだ。自分の失敗を徹底的に見直し,原因にたどり着くことが出来れば大丈夫。以降は完全に冷静さを取り戻すことができた。
鳴門海峡を渡り,いよいよ生まれて初めての四国上陸。今まで同じ日本でありながら話にしか聞いてこなかった四国という土地に渡った時の感慨深さはそれなりにあった。鳴門の渦が見える展望台にたどり着いたのは7:30。その日の干潮が8:30頃だったので,渦を見るにはベストのタイミングのはずだった。しかしながら,渦を見るための遊歩道「渦の道」が開くのは9:00からとのこと。1時間以上も待ってもいられないので,遠目に渦を眺め,計画の一つを完了。
天候は良好。高松方面へ抜けてさぬきうどんを食べるのも良いが,晴れているうちに次の目標であるスーパー林道走破を終えてしまうことにする。国道11号から徳島ICの脇を通り国道55号,江田町交差点を右折して県道16号に入り上勝町側から林道に入る。16号に入ったあたりから徐々に雰囲気も出てきて林道への気分も高まる。10:00には林道起点に到着。百間滝を眺め,支線の割谷線(ピストン林道)終点にて早め昼食。あまりに順調だったので小一時間,久々の山の雰囲気を満喫する。カジヤ谷線などの支線もウロチョロ。残念ながらフイゴ滝は見逃す。その後も,これでもかと言わんばかりの山・山・山。
87.1kmもあるとさすがにもはや「単なる林道」とは思えない。何なんだこれは一体…僕の走っているこの道は何だ?景色は最高。道中に谷水も飲める。オフロードファンにとっては理想的な道だ。でも…。
林道の終点付近に当たる高瀬峡上流の巨大な砂防ダム群は,建設物としてみた場合,その壮大さに感激する一方,強烈な自然破壊であるという見方も出来る。砂防ダムは渓流の流れを安定化する一方で河川に寄る土砂の運搬作用を阻害し,沿岸部の浸食を悪化させるという話もある。スーパー林道は昨年の台風により至る所で崩落し,不通となっていた。ちょうど僕が訪れる一週間前あたりに全通したようであり,至る所に自然災害の爪痕が残っていた。そこには治山に苦しむ人々の努力が見て取れたが,一方でこの林道についても負の側面があることを感じた。というのも,崩落は明らかに林道周辺で起こっており,林道を作ったために崩落が起こる→林道が不通になる→林道が不通になったために林道を整備する→その影響で崩落が起こる…という,人為的な連鎖を見て取ることが出来たからだ。つまるところ林道は,自然を破壊して貧しい農村部を潤わせるための事業なんじゃあないだろうかと思えるのだった。ダムや道路といった人間の造る巨大建造物にも敬意を表したい。しかしどこか虚しい物がある。おまけに,その林道を娯楽のタネに利用することについても,何かしら立場を決めておかなければなぁと思うのだった。
夕暮れが近づくに従って,山の景色はどんどん綺麗になっていく。写真を撮りまくったおかげで,たった90km弱の林道を通過するのに結局7時間くらい費やしてしまった。当初の予定では林道を経由して馬路村方面に抜け,安芸市へ抜ける計画であったが,日没の時間が訪れてしまう。林道出口付近の別府峡温泉に泊まることにする。
「今日はもう疲れたから,旅館に泊まるか」などと,2日目からサバイバル精神はどこへやら。しかし,あいにく旅館は満室。ご主人の好意により,裏庭にテントを張らしてもらうことに。
僕の浜松ナンバーをみて,ジーさんが寄ってくる。浜松にある原発の工事に応援部隊として参加したとのこと。昔話をしばらく聞く。温泉にて別のジーさんと話をする。この人も土木関係の元作業員で,林道が崩落したおかげで仲間が大変苦労しているとの話。きっと林道事業はこの辺りの人々の生活も支えているのだろうと考えると「剣山スーパー林道全通が町の悲願」だったという話も何となくうなずける…。