空想犬猫記

※当日記では、犬も猫も空想も扱っておりません。(旧・エト記)

うんちにまつわる心温まる話

そろそろ四ヶ月になる息子が、うんちを覚えた。正確にいうと、妻が息子のうんちのタイミングを制御できるようになっただけであるが、それだけでも大きな進歩である。妻が抱っこして「う〜、う〜」と唸ると、出るのだという。どうやってそれを会得したのか聞いてみた。

曰く、この月齢になると、赤ん坊は、世話をしてくれる人に対して感謝の気持ちを表すために、贈り物をしようと考えるらしい。まだ寝返りも満足に出来ないかよわい体と、言葉も発することの出来ない未発達な精神。それでも彼/彼女は、自分に出来るいちばんの贈り物をしようと思う。そして導き出される答が、必然的に「うんち」なのだという。なぜならば、それが自分で差し出せる、唯一のモノだから。

つまりコツは、何のひねりもなくて、赤ん坊が「贈り物」をしたくなるように、ひたすら愛を注ぐ(ゴキゲンをとる)ということらしい。

そういえば、思い当たることがある。私がたまにオムツを替えようと開くと、タイミングよくおしっこを発射することがある。きっとあれも贈り物ではないだろうか。「大」は既にお母さんに予約済みなので、お父さんには「小」を、というわけだ。

表現手段の限られている赤ん坊が、もう既に人間らしい行動を起こしていて、その動機が、感謝の気持ちであるということ。そして、自分に出来る最大限の感謝の表現として、にゅっと差し出される贈り物うんち。さらに、幼いながらに自己管理もしていて、その結果として、びゅうっと発射される分け前おしっこ。それらには、ちゃんと理由があったのだ。それを聞いてからというもの、イタズラ坊主の微笑みの中に、頼もしさを感じるようになった。