達成感について
新しい家に引っ越してから、園芸を少し始めた。これがなかなか面白い。
しかし、昨日までの自分を顧みて、植物の枝をチョキチョキしている自分に少なからぬ違和感があり、少し考えてみた。
さしあたり、園芸の面白いところは、
- 植物に関する豊富な知識の蓄積があり、知識欲が満たされること
- 園芸用の道具(工具)が充実しており、収集欲が満たされること
- 剪定など手先を使い形を整えたり、配置を工夫するなど、創作欲が満たされること
- 成果物として「庭」ができあがり、最終的に達成感が得られること
あたりである。これは何かに似ている。
例えば、今でもアイデンティティの一部となっている(と思っている)物理学。さしあたり、物理の面白いところは
- 自然法則に関する豊富な知識の蓄積があり、知識欲が満たされること
- 参考書などの書籍が充実しており、収集欲が満たされること
- LaTeXのスタイルを編集して論文のフォーマットを整えたり、公式を組み合わせるなど、創作欲が満たされること
- 成果物として「論文・書籍」ができあがり、 最終的に 達成感が得られること
或いは、現在の生業となっているコンピュータソフトウェア開発。さしあたり、ソフトウェアの面白いところは
- 情報科学に関する豊富な知識の蓄積があり、知識欲が満たされること
- 色んなソフトウェアやソースコードがネットで手に入り、収集欲が満たされること
- ソースコードのインデントを修正してフォーマットを整えたり、ライブラリを組み合わせるなど、創作欲が満たされること
- 成果物として「ソフトウェア」ができあがり、 最終的に 達成感が得られること
等々である。面白いことに、自分が今まで興味を持ったこと全てに概ね当てはまる。
これらに共通するのは「知識欲、収集欲、創作欲の充足、成果物 → 達成感」という要素であり、対象は何でも良い。さらに付け加えると、総じて安価であり、小さな世界に閉じていて、安全で人にあまり迷惑がかからないという特徴もある。重要なのは、対象はべつに何でも良いということである。
この「達成感」と、人生における到達とは同一視してよいだろうか。