空想犬猫記

※当日記では、犬も猫も空想も扱っておりません。(旧・エト記)

日本人としてこれだけは知っておきたいこと (PHP新書)

全ての友人にこの本を薦めたい。私はいろんな意味でもやもやと頭に抱えていた疑問,禁忌に触れるのではないかと思って言えなかった(言ってたかも)多くの事柄を,この本は最も納得する形で説明してくれたと思う。

私は小さい頃に機銃掃射もされていないし,もの心付いた頃は毎年豊作,貿易黒字拡大,思春期に差し掛かる前まではバブル全盛期。他国に対して,コンプレックスも恨みも恐怖心も無く育ってきたと思う。それでもなお,何か自分自身のアイデンティティに関わる部分において,曖昧でもやもやとしたものが存在し続けていた。

私は小学校の先生が割と信奉していた自虐的な日本人像にも懐疑的であったし,米英コンプレックスを抱いた昭和第一世代の愛国主義にも,何かうんざりしたものを感じている。親たちはアテにならない。もう少し,この国に起こったことを直視して,敗戦によって何が失われ,今それがどのように癒されつつあるのかを,冷静に考えてみたいと思っていた。

それを知るための土台として,この本から初めてみるのはいいんじゃないだろうか。私はこの本で言うまさしく「昭和二世」の人間だ。

(前略)…
しかし,「昭和二世」以降の世代からは,見事にそういった感覚が抜け落ちます。自分の中に,そうした国家観がないのはなぜなんだ,不思議だという自意識はあっても,親を通じて戦前から感覚的に引き継ぐものがなかったからです。残念ながら,この世代には,言わば以心伝心的に何か大事なメッセージを伝えようとしても伝わらない,という感覚を上の世代は持っているのです。しかしこの世代は同時に,「タブーや偏見がない」という強みを持っていることを忘れてはなりません。(頁95)

よく分かってるなぁと感心してしまった。このおじさん先生,分かってるよ!これを機に,日本のことを思って色々考えてみようと思う。

日本人としてこれだけは知っておきたいこと (PHP新書)

日本人としてこれだけは知っておきたいこと (PHP新書)

現実に起こったこと認識すること

これが一番難しい。しかし,今こそ客観的に見直す次期だという筆者の説は一理あると思った。

私が,終戦=敗戦であることをマザマザと感じたのは,アメリカに来てからだった。「日本の豊かさ」だと思っていたものの殆どが,アメリカの豊かさだったことに気付いたのだ。それに加えて

  • 航空ショーで兵器を誇らしげに披露する空軍
  • コンサート,ベースボールの仕合で国家を斉唱して忠誠を誓う儀式

を見て,何でこんな当たり前のことが,日本でできないのかと,驚いてしまった。何故かと考えた時,そこに横たわる敗戦の影響がいかに大きく影響を及ぼしているか,ようやく気付いたのである。何か日本は今,国として特殊な状況にある。まずそのことは認識しなければならない。

小さいことから,まずやった方がいいと思うことは

  • 「終戦」ではなく「敗戦」とすること。(自然発生的に終わったのではなく力と力の戦いに敗れたということ,敗れた代償を払ったということを知るため。8/15は敗戦の日である)
  • 「進駐軍」ではなく「占領軍」とすること。(『占領』したからには,占領地で何かをやらかした,ということを明確にするため)

かな。

天皇制について

天皇家の特異性についての記述は,私はもはや宗教の領域で,各自の心に大切にしまっておくだけでよいと思う。

私は無宗教な人間だが,これまでまともな善人としてやってこれたのは「偉大な祖先」を感じることができる文化が,我が家に微かに残っていたからだと思う。今思えば,何があっても「ご先祖さまのお陰」という,言わば宗教なわけだが,ともかく自分より偉大なものを尊敬するという習慣が,いつもまもってくれると信じている。言ってみれば我が家のミニ神道なわけだ。それを万世一系の天皇のもとに,日本人皆でやって我が家のように家族まで普及させることができたら,それはけっこう本気でいいことだと思う。

一つの例がタイである。私はタイの人々が好きである。天地神明に誓ってフーゾクや少女買春とかに手を出したことはないが,親しく触れ合ったことならある。彼らの生活は「人を敬う」ことと「祈る」ことが共にあり,接していて心を洗われることが多い。私の観察によると,タイの人々のアジア的な美しさと,礼儀正しさのルーツには,仏教もさることながら,大人から子供まで,誰もが敬う対象としての王族の存在が大きいようである。

たかだか200年のタイの王朝でさえ,タイの人々の大部分を善人たらしめている。神話の代まで遡る天皇を中心に添えれば,その効果たるや,なかなかのものかと思うわけです。もはやその偉大さは宗教的な信念をもってしか,計れないわけですが。