空想犬猫記

※当日記では、犬も猫も空想も扱っておりません。(旧・エト記)

偶然,大いなる力

コンビニで万引きしてしまったことがある。缶コーヒーと雑誌を買おうと思ってレジに向かい,缶コーヒーをレジにおき,財布を取り出すために雑誌を脇に挟み,財布を取り出す動きをしているうちに,脇に挟んだそれをすっかり忘れてしまった。そして,家の玄関で脇の下のそれに気付いたのである。

その夜のことだ。何気なくテレビでトークショーを見ていたら,とある女性タレントが同様の手口で万引きしてしまったことを告白していた。しかも,トークの流れ的にも,ふさわしくない不自然な形で。

また別の日のことだ,ちょっとした用事があり,車の運転をしながら携帯でメールを打っていたことがあった。メールを打ったのはその日の前,人生の中で1週間程度の期間だけだった。

その僅かな期間の間,日中,職場に偶然の珍客があり,その初対面の女性とお昼をご一緒することになった。そして,その女性が,また不自然な話の流れの中で「最近,私の地元で,運転中にメールを打って,人を轢き殺しちゃった18歳の少年がいたんですよ…」と喋り出した。

もう一つ忘れられないのは,大学四年の頃の話。スキーで複雑骨折して,急遽,普段はとらない実家に連絡をいれ,そこで大学の友人から急用の電話があったことを知る。その内容は,私の卒業単位が足りなくて,○○先生に懇願しないと留年確定というもので,そして,複雑骨折をしたその日が,まさに単位が確定する日だった!結局,救急救命室から大学の某研究室に電話をして,(別の痛みで)涙ながらに単位を懇願し,骨2本と引き換えに無事4年で大学を卒業できたのだった。

これらの出来事は,誰の人生にも良くある「偶然」だろうか?常識的には偶然の範囲内に入る出来事だろう。

私も偶然だと信じたい。もし何か偉大な存在が私の背後にいて,愚かな私に対し,メッセンジャーを操って警告をしたのだとすると,それは,私に対して人生の意義だとか知恵だとかを教えるのではなくて,かなり基本的な人間社会のルールを教えようとしたり,わりと目先の危険の回避を試みたりしようとしている。神のごとき力を持つものが,稚拙なやり方で実用的すぎるアドバイスをくれるわけだ。私の場合。しかも,脚を折るなど,その強行的な手腕も,危険すぎる。

しかしながら,一年違っていたら,私は今のポストに就けなかったし,恐らく前の会社にも誘われることは無かっただろう。そういう意味で,私の人生は全く変わったものになっていた。複雑骨折は,脚が複雑に折れた以上に複雑に私の人生を変えた。

その他にも,よだれが滴りそうな悪いことを思い立った日に,土砂降りになってそれが実行不可能になるなど,私は日頃からこういう介入的なインシデントで,何者かに「守られている」あるいは「邪魔されている」と感じることがある。

その抗えない圧倒的な力に畏敬の念を持つと同時に,時折かいま見せる対処療法,発想の知能レベルの低さに,ゲンナリする。