空想犬猫記

※当日記では、犬も猫も空想も扱っておりません。(旧・エト記)

Second Life に対する反応についてうだうだ

つい最近,起業した友人と,これからさき,技術の進歩によってコミュニケーションはどう変わっていくんだろうと,とりとめもない話をした。その中で,全くの文系人間の彼が,Second Life にとても興味と期待を持っているらしいことを知って少し驚いた。

技術的には興味深いから,ギークたちが真っ先に飛びつくのかと思いきや,案外,クリエーターと呼ばれる(チャラチャラした)人々や,電通などの,いわゆるチャラチャラした人々が飛びついているようだ。お金の臭いがするからだろうか。Web の自由で無料の世界にどっぷり浸かってしまった人ほど,Second Life を試しもせずに否定している風潮もあるようだ。このチャラチャラした人たちを引きつける魅力って,一体なんなんだろうねぇ。金の臭い?

Second Life の(何となくの)盛り上がりとそれについていけてない自分。この感覚何かに似てるなーと思ったら,同じことが,ケータイ文化にもいえることに気付いた。10代の若者たちは,SNS もケータイ,買い物もケータイでしてるらしい。日本ではモバゲータウンってのが流行ってるらしいとか,いろいろ聞くんだけど,そこで生み出されてる価値は,みーんな自分をスルーしていっている。まるで透明人間にでもなったかのような気分である。

敢えて興味の無いものに触る時間ももったいない,とかオヤジ臭い発想をしてしまうのも哀しい。アメリカに来てから,携帯電話でやっていることといえば,通常の通話と SMS というテキストメッセージだけである。使ってるケータイは十年前に初めて買った携帯電話よりしょぼい。年を取ったのかなぁ。いかんなぁ。それ以前に共感能力が欠如しているんじゃないかと心配になってくる。「いかんなぁ」というポーズだけでもとっておこう。