空想犬猫記

※当日記では、犬も猫も空想も扱っておりません。(旧・エト記)

沈下橋 (2005-09-19 追加)

遅ればせながら,四国ツーリングのメインイベントともいえる沈下橋計画の顛末を書いておこうと思う。
山出憩いの里温泉(キャンプ:500円)を出発,四万十川を目指し,R46を南下,R299,R56,R332,R4に入る。しばらく林道を走っていなかったのであえて奥藤林道を通って黒尊川沿いから四万十川にアプローチすることにする。剣山で既に林道は「お腹いっぱい」だったが,せっかくSEROWで来たのだから…という思いもあり15.9kmのダートに突入。ツーリングマップルには「鹿が多く出没」と書いてあるとおり,途中仔鹿に出会う。車でも通過できるような整備された林道。聞き慣れない小鳥の鳴き声がいろいろ聞こえたのが印象的。バードウォッチングを楽しむ人々もいた。
林道を走るというのは「楽しい」と同時にいろいろ神経を使う。下手をすると何100メートルもある崖であっても,ガードレールが無い,あるいは修理されていない箇所があったり,道が至る所で崩落しており,常に危険と隣り合わせであるからだ。最初のうちはそういう危険な感覚が何となく「爽快」なのだが,ツーリングとして何日間も続けると,だんだんストレスになってくることに気付いた。この林道を最後に今回はこれ以上林道を走らないことを決める。
林道を出ると青空が広がっていた。黒尊川は美しく透き通り,水量も十分。「この川に 沈下橋など ありぬれば 我違いなく 飛び込めるなり」と鼻歌を詠いながら四万十川を目指す。先日の調査で河口から2,3本の橋はあまりにも川幅が広すぎる,あるいは浅すぎて飛び込みに向かないことを確認していたので,口屋内大橋付近から上流の沈下橋を目指すことにした。

鼻歌を詠ってはいたものの,心の中では不安が渦巻いていた。たった一人で沈下橋を飛び降りるのは「あやしい人」なのではないか?という問題もあるが,最大の問題はそれをどうやって写真に納めるか?ということだった。少なくとも誰かに頼まなければならないのだが
「すいません,今から橋を飛び降りますんで,写真お願いできますか?」
などと見知らぬ人にアプローチし,おもむろに服を脱ぎ飛び降りるなんてこと,本当にできるのだろうか。いい写真が撮れずにリテイクをお願いすることができるだろうか。そのことを思うと本当に気が滅入った。

岩間の沈下橋を通り過ぎたが,平日の昼間ということもあってひと気はほとんど無い。だんだん自分の中にあきらめムードが広がってくるのを感じた。R381とR441の分岐点にさしかかった時,僕は1つの選択を迫られる。R441に抜けるか,沈下橋に拘ってR381方面に行くか。R441を愛媛方面に抜ければ,愛媛の風景を楽しむことが出来る。四国ツーリングという意味ではバランスがとれた旅行になるだろう。しかも,広見川沿いにも沈下橋はあるかも知れない。沈下橋計画はダメになる可能性はあるが,総合的な充実度の期待値はこちらの方が高いのではないか。R381に抜ければ,沈下橋計画遂行の期待値は大きい。しかしながら,もしそれが出来なければ,先日は走った道と同じ道を通ることになる。せっかくのツーリングを「沈下橋から飛び降りる」というおバカさんな計画によって実りの少ないものにしてしまう可能性を孕んでいる…。

「R441に抜ける。」
これが僕の出した答だった。「たった一つのこだわりのためにその後の殆どを台無しにしてしまう可能性のある決断なんて僕には出来ない,もしかしたら広見川にも沈下橋があるかも知れない(可能性は低いが…)」と自分に言い聞かせてR441を北西に進む。走るうちに更に気分は移り変わり「そもそも,一人で沈下橋を飛び降りるなんて無理な計画だよ,また今度の機会にすればいいじゃないか」などと思い直す。そうすると,これまでの「〜ねばならない」という強迫観念から解放され,妙に救われたような気がした。

しかしその矢先,僕は一つの沈下橋に出会い,再度意識の深層を揺さぶられることになる。
それは,広見川の最下流にある沈下橋の,橋桁が流された姿だった。既に沈下橋に通じる道は一般道ではなくなっており「交通の安全性のために現在では無くなりつつある」と,過去の遺物としての解説が付け加えられた看板が掲げられている。念のために橋桁まで行き川面を眺めてみると,この川は水量も少なく,それほど綺麗でもないことが改めて分かる。これ以上,上流に行ってもこれ以上の水量は望めないし,愛媛県の広見川流域の沈下橋に対する扱いも全てこの橋に表れている。つまり,この時点で「あわよくば沈下橋」という希望は捨てなければならないという通達だった。
「沈下橋」の三文字がこの旅行から完全に消滅する時,再び自分の中に様々な思いが去来した。
「自分は今までの人生の中で知らず知らずのうちに『ある目標』をあきらめて,それに対してもっともな理由をつけて今に至っているのではないか?」「R441に抜けた自分はまさにそれではないか?単なる言い訳で『安堵を取り戻し』た自分は意志の弱い人間だ…」「この旅行で安易で平凡な選択をしてしまったら,今後の人生においても同じ選択をしてしまい,僕は(少なくとも自分の定義における)並の人間で終わってしまうのではないか?」「それも一つの人生だ,いやいやその考えの中に既にいいわけが含まれているぞ!…」
僕はそのとき初めて,R441に抜けるという選択が「様々な理由をつけて人生における目標を諦める瞬間のひとつ」であることに気付いた。僕はいつも過去には後悔しないことにしている。なぜならばその時々にじっくり考えて「最良の決断」を常にしていることを自分自身に,常に問い直しているからだ。しかし,今までも自分は気付かぬうちにきっと,幾度と無く今回と同じような迷いの果てに「最良の決断」という言い訳をしてきたのだろう。中には本当にもっともな理由で諦めたものもあるかも知れない,けれども自分の怠慢にもっともらしい言い訳を付けてきたことも何度かあったに違いない…。
「たかが沈下橋,されど,この計画にまつわる僕の心の推移は,僕の生き方に大きな影響を持つものだ。ならば改めて正しいと思う決断をして,その顛末を眺めてみようじゃないか。」
結局,R441を再び引き返すことにした。状況はなにも変わっていない。しかしこの先には今後の僕の人生を占う答がある。そんな期待と不安にどきどきしながら…。
2005-09-03に続く。